“体のつながり”

最近、ドラマや本やゲームなどさまざまな世界で脳が注目されていますね。

まだまだ、解明されていない部分も多いですが、私たちの日常の生活や活動する能力に与える影響が大きいと思える分野だからこそ、余計に興味が湧くのではないでしょうか。

ある眼科医によると、車のドライバーは運転に必要な情報の約9割を視覚に頼り、長距離を走る間、目は酷使されるが、疲労は頭にもたまるようです。

だから、「目だけでなく、脳も一緒に回復させる必要がある」と指摘し、パソコンや読書を長時間続けた直後の運転は「ピントを合わせる筋肉を極度に緊張させるため、目の疲労で一時的に見えにくくなる。そのまま運転するのは非常に危険だ」と言っています。

体の各器官はそれぞれが影響し合っています。

聖書には、「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです」とあります。(1コリント12:26)

一つの体に各器官があり、それぞれの部分が繋がっています。だからこそ、互いに影響を受け、与える事ができるのです。

イエス様を信じるものは、イエス様によって一つの体とされています。

だから、誰かが疲れれば、他のどこかも疲れてしまう。あるいは、どこかが痛めば、他のどこかもかばって痛くなることもあります。

また、それだけでなく、どこかの器官が喜べば、他の器官も喜ぶ事ができる。自分の事として感謝する事ができる。

だからこそ、良い事は、互いに喜ぶために“こんな事があった”と伝え合おうではありませんか。それが、誰かの励ましや喜びになります。

そして、問題や悲しい出来事、試練の時は、ともに祈りあっていきましょう。イエス様は、私たちにともに歩む仲間を与えて下さっています。





7月5日礼拝メッセージ【一粒の麦】
ヨハネ12:23〜25



| | コメント (0) | トラックバック (0)

“天の基準”

 キング・オブ・ポップと呼ばれた大スターが急死し、日本のニュース番組でもトップニュースで扱われるなど、その影響力を見る事ができますが、皮肉にも訃報の知らせが流れてから、CDの売り上げが急上昇しているようです。

あるコメンテーターによると、大物であればあるほど、こうした事がよくあるようで、CDだけでなく、様々なものの価値が上がり、生きている時よりも、多くの財産が入る事は決して珍しくないそうです。なんとも悲しい現実ですが…。

 財産があるのは悪い事ではありません。
しかし、いくら財産があっても、生きている間にしか使う事ができません。
財産だけでなく、名声も、地位も生きている時にしか価値がありません。

だから、聖書には、「自分の宝は、天に蓄えなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。」とあります。(マタイ6:20)

宝を天に積むとはどういう事でしょうか。良い事をすると言う事でしょうか。
それは、決して道徳的な良い事をするという意味ではありません。

良い事の基準は時とともに変わってきます。その人の気持ちや感情で変わってしまう。しかし、本当の良い事は変わってはいけないものです。

だからこそ、神様の基準を知る事が大切です。
天の基準を知るために聖書を開き、みことばに耳を傾けていきましょう。
どうしたら良いかを知り、アクションを起こしていこうではありませんか。

天に宝を蓄える事は、神様の保証付きです。
決して変わる事のない基準は、私たちに確信を与えます。
主の恵みに応答をして、今週も歩んでいきましょう。ハレルヤ!




6月28日 礼拝メッセージ【キリストの花嫁】
ヨハネ12:1〜11

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“うっかり忘れてしまう私たち”

何をどこにやったのか、どこにしまったのか思い出せない。

そんなうっかりした事は、誰でもありがちですが、事と次第によっては、おもいがけず、大きな問題になる事があります。

アメリカの女優・歌手のリンジー・ローハンさんは、ロンドンで女性誌の撮影をした際に使った宝石を紛失しました。その金額は、なんと約4000万円です。

そんな高価なものが自分の周りにあったら、緊張してなかなか忘れる事はなさそうですが、さすがアメリカの芸能人のうっかりはケタが違いますね。

人それぞれ、事の大小はありますが、以前、こうしたうっかりを直すために、自分の意識をつけるために、備忘録をつけるだけでなく、散歩をしたりして体を動かしたり、会話をする事を心がけた方が良いと聞いた事があります。

もちろん、性格や色々な問題がある場合がありますが、一般的に脳が活性化して、忘れにくい脳を作るそうです。

人は忘れるものです。しかし、忘れて良い事と忘れてはいけない事があります。

聖書には「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな 」とあります。(詩篇103:2)

イエス様を信じると、いつも自分の目に良い事ばかりだとは言いません。

しかし、振り返って見た時に、いつも守りと助けがあった。恵みがあった、祝福があった、イエス様の愛があった事を見る事ができます。

わたしは、それを感じると、この事を忘れてはいけないと思わされます。

それは、毎日の私たちの力となるからです。

だから、今日もイエス様を信頼して歩もう。そう始める事ができます。主の恵みをうっかり忘れる事なく、いつも私たちの人生には、イエス様の恵みがある事を思い出して始めていきましょう!ハレルヤ!!




6月21日礼拝メッセージ【時の扉】
ヨハネ11:30〜45

















21日は、父の日です。お父さん方の上に祝福がありますように、健康が守られますようにお祈りします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“人生のナビゲーション”

大都会や知らない場所を車で走っていると、カーナビがついていたら、どれほど便利だろうと思わされる事があります。

何度も何度も一方通行にはまってしまったり、信号で曲がる所を間違えて、どんどん遠くに行ってしまったり、心の中はヒヤヒヤしてしまうことがあります。

先日も、道に迷って倍の時間を使って、ふらふらになって、家にたどり着いたことがありました。その時に、カーナビがあればと何度思った事でしょうか。

カーナビは、自分のいる位置を知る事が出来ます。

そして、これから向かう方向を知る事が出来ます。どこで曲がり、どこに行けば良いかを知る事ができるからです。

私たちの毎日の中でも、このカーナビのように最高の人生へと導いて下さる方がいます。この声に聞けば、必ず最高の人生へとたどり着く事ができる。

必死になって自分を探して疲れ果てなくても良い、自分は何ものか不安になることがない。私たちの最高の人生を知っておられ、最も良い方向へと導いて下さる方、それがイエス様です。

イエス様は、私たち以上に私たちをご存知です。だから、この方に耳を傾けて進むなら、最高の人生があります。

そして、今日はもう一つ申し上げたいのです。それは、イエス様の声を聞くものの態度です。

聖書には、「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」とあります。(ピリピ4: 4)

何でもかんでも喜ぶ事は出来ません。毎日の中には、良い事もありますが、悲しい事やつらい事があるからです。

しかし、そのような時でも、イエス様は最高の形へと変えて下さる。この悲しみは悲しみのまま終わる事がない。

それは、イエス様が最高へと導いて下さるからだと信じて、感謝をして歩むなら、必ずマイナスをプラスへと変えて下さいます。

道が見えない時、イエス様は側にいて語って下さっています。状況ではなく、感情ではなく、イエス様を信頼していきましょう!!





6月14日礼拝メッセージ【神の子人の子】
ヨハネ11:17〜29






梅雨に入りました。体調が守られますようにお祈りしています!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“間違いがない本”

 先日、本屋さんに行きましたら、少し前まであれほど山積みになっていた話題の本が一冊も無くなっていました。

私自身、あまり長編小説に興味がありませんし、買うつもりもありませんが、なるほど噂通りの売れ行きだと驚きました。

もともとの知名度だけでなく、外国で賞を受賞したエピソードなどが、さらに人気を後押ししているのではないでしょうか。

また、あるニュース番組では、“どうしてそれほどまで売れているか”を、本を買った人に街頭インタビューをしていました。

その中で、“今まで買ってみて、この作者には間違いがなかった”とコメントがありました。

わたしはそのことばを聞いて思いました。どれほど人気の作家が書いた本でも聖書にはかなわない。

聖書は、世界の大ベストセラーというだけでなく、変わる事がない神のことばです。

疲れた時、失望している時、人生の方向性を求めている時、嬉しい時も、楽しい時も、聖書は私たちに必要な知恵を与えてくれます。

また、夢や幻想ではなく、神様と人との歴史を見る事ができます。

そして、私たちのあるべきスタンスを教えてくれます。

是非、聖書を読んで、これこそ間違いがないことばだということを多くの方々に知って欲しいと感じます。そして、自分自身も、さらにもっともっと知りたいと思っています。

聖書は、わたしの人生を変え、今も変え続けているからです。

聖書には、こうあります。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」(1ペテロ1:24〜25a )

いつも聖書を読んでいきましょう。神様の知恵に溢れていきましょう。

聖書は、飾っていても意味がありません。私たちの心に蓄えられてこそ、聖書の本当の力が発揮されます。

毎日の生活の力となることばを頂いていきましょう!
聖書は、新しい人生をいつもはじめることができる間違いがない本です!!





6月7日礼拝メッセージ  【痛みを背負った教育】
ヨハネ11:1〜16










| | コメント (0) | トラックバック (0)

“完璧なコーチの存在”

ことばを伝えるのは難しい事だと感じませんか。

同じことばを発しても、ある人は喜び、ある人は悲しむ、よくよく注意をしてことばを発しても、相手の受け取り方次第でことばの成果のようなものが決まってしまうのは、何とも残念なように感じます。

だからこそ、ことばを使って生きているからこそ、ことばの本当の意味が届くように、祈らずにはいられないのではないでしょうか。

聖書には、イエス様を信じる者に、“もうひとりの助け主”として、聖霊様を送ると書いてあります。

この方は、本当のことばの意味をよくご存知な方です。そして、私たちの事もよく知っておられます。

決して、あげ足を取るような方ではなく、私たちを評論家のように否定的に見るのではなく、温かい目で私たちを見て下さっています。

本当の事を知りたい。自分が何者かを知りたい。人生の意味を知りたい。本当の愛を知りたい。

そう思われる方は、このことばを超えた方を受け入れて下さい。私たちの内にはっきりと否定する事ができない神様の存在を心の内に感じる事ができます。

どんなスポーツ選手でも、選手の後ろには、コーチがいます。選手は強くなるために、良いコーチを求めています。

しかし、どこにも完璧なコーチはいません。人生や毎日も同じです。

すばらしいコーチがいれば、完璧なコーチがいれば、全く違う人生を歩む事ができます。

今日は、ペンテコステの日と呼ばれる日です。

この日は、イエス様の約束された通りに、もうひとりの助け主である聖霊様が私たちの所に来て下さった日です。

まだ、聖霊様を知らない方は、“わたしに触れて下さい”と心の内に祈るなら。聖霊様はあなたのなすべきを教え、導いて下さいます。

また、すで聖霊様をご存知な方は、さらに聖霊様の臨在に降れ、私たちの人生が変えられるだけでなく、周囲の人々に力強い影響を与えられる方をさらに求めていきましょう。

ことばや知識ではだけでなく、私たちの毎日の中に働かれる神様の存在を体験的に知る事ができます!このすばらしい恵みを受け取っていきましょう!ハレルヤ!!






5月31日礼拝メッセージ【もうひとりの助け主】

ヨハネ14:16〜17

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。

その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。

世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。

しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“毎日のコンディション作り”

先日、薬局に行く機会があり、わたしの目にあるものが飛び込んできました。
それは、“いびき防止薬”と書かれており、どんな薬なのか、妙に気になりました。

それで薬剤師の方にお話をお聞きすると、その薬は、鼻孔に塗り、鼻の穴が広がるので、空気の通りが良くなり、いびきが抑えられるとのことでした。

いびきでお困りの方は、薬に頼りたくなるのもわかります。
また、睡眠時の無呼吸で昼間に事故を起こしても大変です。

しかし、何でもかんでも楽な方に流れてはいけないのではないかと感じさせられます。
わかちゃいるけど、やめられない。それが人間の弱さではないでしょうか。

わたしも、健康のために運動をしなくてはいけないと思っても、普段から運動をしていないので、体を動かそうにも、動かすに至るまでが大変です。その時に、毎日の自己管理の大切さを考えさせられます。

少しでもやっていれば、楽しんでできるのではないかと感じます。
それは、運動だけでなく、私たちの心のコンディションも同じです。

心がいつもピカピカであれば、いつも喜んで生活をすることができる、楽しんで生活をすることができます。だからこそ、いつも、いつもきれいである必要があります。

聖書には、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです」とあります。(ヘブル12: 2〜3)

いつもイエス様に目を向ける事からはじめていきましょう!

それは、私たちがいつも元気で、のびのびと歩む事ができるためです。イエス様は私たちの心を整えて導いて下さいます!!






5月24日礼拝メッセージ【主は我が牧者】
ヨハネ10:1〜15




あまり、この辺りではマスクをしている方はみかけませんが…全国的にマスクなど売り切れのようですね。病いから守られるようにお祈りしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“新しいスタンスの始まり”

 新しい環境にも慣れて来て、少し疲れの出る季節になってきました。
肉体のケアだけでなく、気分転換やストレス発散も大切ですね。皮肉なもので、まじめな人ほど、五月病になり易いようです。

人間的な無理をした反動でしょうか。少し落ち着いてホッとしたのでしょうか。しかし、そんな時こそ、自分の新しいスタンスを知る機会となるのではないでしょうか。

 聖書には、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28〜30)

 

人間には限界があります。24時間必死になっている事はできません。

いつトラブルが起こるか、問題が起こるか、あるかどうかもわからない事を一人で心配していても心が休まりません。

昔のCMに24時間戦うためにドリンクを飲んでいましたが、ドリンクを飲んでも24時間戦うようには人間はできていません。

人には限界があります。

だから、イエス様に頼り、任せていくとイエス様からの安心感に包まれることができると聖書は教えています。そして、自分のするべきことは何なのかを知る事ができる。

つまり、闇雲に走っていた人生ではなく、イエス様によって、行くべき方向へ自分を走らせる事ができるのです。

スランプにある時、疲れた時、どうしようか不安な時、今一度立ち止まってみ直してみようではありませんか。

イエス様は、私たちを祝福して下さいます!!





5月17日礼拝メッセージ【あなたが生まれた理由】
ヨハネ9:1〜7






| | コメント (0) | トラックバック (0)

“道”

 以前、こんな事を聞いた事があります。
道ということば意味は、物を運ぶだけでなく、文化や生き方など形のないモノを運ぶ意味がある。茶道、華道、男の道…。

歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんが紫綬褒章を受け、「易しい道より難しい道を選んだ方
がよい、と言い聞かせて、ここまで来た」コメントされていました。

歌舞伎の道を極めるまでには、大変な努力があったでしょうが、賞を受けてもなお、その道には終わりがありません。伝統芸能の道を守る道も大変ですね。

 今の時代は、その道が見えにくい時代のような気がします。自由で何でもありの世の中が、実は何もないような気がします。

それは道を極める事は決して楽な事ではないからです。ダラダラとして気がついたら時間がたっていたなんて事はありませんか…。

私たちの人生の道を極めるためにも、私たちはどうしたら良いでしょうか。

 聖書には「神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる」とあります。(詩篇18:30〜32)

 人は曲がった道、でこぼこ道、坂道、色々な道の最中で自分の道を見失います。

どこに行ったら良いかわからなくなったり、本来の目的を見失ってしまいます。また、自分の道をしっかりと歩んでいる人でも、神様の道にまさる道はありません。

 ですから、イエス様に頼ることこそ、道をまっすぐに歩むことです。

それは、どんな道を私たちが歩んでいたとしても、最良の道へと、永遠の道へと、豊かな道へと導いて下さいます。今週も、イエス様に頼っていきましょう!イエス様は、私たちを導いて下さいます!!期待しましょう!!




5月10日礼拝メッセージ【似た者同士】
ヨハネ7:53〜8:12









5月10日は母の日です。母の日の始まりは教会なんですよ!!是非、母の日にも教会においでください。素晴らしい時間になります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“続ける力”

 夢や希望を持つことは大切なことです。
しかし、私たちは自分の状況や環境を理由にあきらめてしまい易いものです。

それでも、発明家を見ていると、偉大な発明は満たされている状況ではなく、むしろ満たされていない状況にこそ、発明がなされていきました。

生活を改善したい、何とか助けてあげたい、もっと便利にしたい。

今ある現実を決して見ていないわけではなく、今ある状況がマイナスであったとしても、それが発明とヒントとされていったのです。 

 聖書には、「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい」とあります。(ピリピ2:13〜14)

せっかく与えられたビジョンや願いを手放してしまうことがある。

そのビジョンや願いが一人よがりになっていないかどうか、十分に吟味することは大切だとは思いますが、現実を見てあきらめてしまい易いものです。 

 成果が目に見えない時、現状に納得いかない時に、続けるのは忍耐が必要です。

そのような状況の中でも、イエス様を求め、信頼し続けるならば、主は最高の着地点へと導いて下さいます。それがどこかは私たちにはわからないかもしれない。

また、イメージしていた方法とは違うかもしれない。その中で、試練や訓練を受ける事があります。そして、自分では思い描くことができなかった場所に行くことができます。

ですから、いつも続けることの大切さを感じます。一瞬だけならそんなに難しくはないかもしれません。でも、続ける中には、信仰が試されます。忍耐が試されます。心の中身が試されます。私たちの心がどのような時も、イエス様はいつも同じです。

大きな愛と恵みを持って私たちを受け入れて下さいます。続けるのが困難な時も、あきらめそうになる時も、不安や心配がある時も、イエス様の愛や恵みは変わりません。

このイエス様に、いつも頼っていきましょう。イエス様は信じるものの力です!!




5月3日礼拝メッセージ【渇き】
ヨハネ7:37〜39





ゴールデン・ウイーク真っ最中ですが、いかがお過ごしでしょうか。事故やケガ、病気から守られますようにお祈りします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«“心の出口はどこにある”